油谷小ブログ

油谷小学校の子どもたちの成長の足跡を紹介します。

「海の命」ノートより⑤

6年生の読み取りに感心することが多いです。同じ部分を読んで、似たことは伝えたいのだと思います。ですが、今度は表現の仕方に個性が関わります。自分の言葉できちんと伝えたいので、ちょっとずつ違いが生まれています。これが、授業を豊かにしているのだと思います。今日の子どもたちの心の言葉を紹介します。

≪本文より≫

(母が毎日見ている)海は、いつしか、太一にとっては自由な世界になっていた。

問題 ( )の中はいらないのではないか?

Ⓐいらない

Ⓑいる

 

〇Ⓑいるです。太一とはちがう海の見方を、ちがう人がいた方が、海のこわさなどをよく表しているからです。

〇Ⓑです。理由は、(母が毎日見ている海)は、父が死んだ海。母は、父が死んだことを悲しんでいる。

〇Ⓑです。なぜかというと、母が見ている海とは、お父さんの死んだ瀬というのを言いたいから書いていると思う。後ろの文でそう言っているから。悲しい海、母にとってということ。

※どれも、言葉は少ないですが、大切なところをとらえて理由をまとめています。「海のちがい」や「父が死んだ海」、「悲しい海」それぞれが、母の視点を大切にして、太一の考え方にブレーキを掛けいるように聞こえます。中には、感心する友達の意見をそのまま写して残している友達もいて、驚きました。それをめざしてまとめようとしているのです。

〇私は、Ⓑの方がいいと思います。理由は、( )があると、母にとっては父が亡くなった怖い海、太一にとっては、自由な世界に見えていることが分かるからです。親子でも同じ海の見え方がちがうことが感じられます。

〇Ⓑいるです。理由は、もし、Ⓐで( )がなかったら、海はいつしか太一にとっては、自由なことになってしまうので、あった方が場所が限られます。

※「親子でちがう見方」これはすごい気づきです。毎日一緒に生活する親子。もしかしたら、口論することもあったのでは?そんな想像が生まれる捉え方です。また、すべての海を太一が自由な世界にしては、早すぎるともとれる気づき。母の海でもある点から場所が限られるという見方もすごいです。